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音楽インタビュー MUSIC INTERVIEW

Vol.1 中村由利子さん
作曲家・ピアニスト
PROFILE

横浜生まれ。フェリス女学院短期大学音楽科卒業。

1987年アルバム「風の鏡」でデビュー。ベストセラーを記録。映画「1999年の夏休み」や写真家・前田真三氏の映像作品「四季の丘」など話題作に作品が使用され、映像とのコレボレーションで大きな評価を得る。

TOKYOFM「ジェットストリーム」のテーマをはじめ、CM、アニメーション、ドラマなど、様々なメディアの音楽を手がける。海外での活動も活発で、2000年からは韓国でもアルバムがリリース。日本人として初めて韓国人気ドラマの音楽を担当し、コンサートも多数く行なっている。

自己のアルバムのほか、サウンドトラック、グループ「アコースティックカフェ」、ユニットの作品など、これまでに30枚以上のアルバムをリリース。メロディーセンスと包み込むようなピアノタッチが人気で、2007年デビュー20周年を迎えてますますその多岐にわたる活動が注目を集めている。

ライブ盤発売決定!
「中村由利子
スペシャルピアノファンタジー」
中村由利子 スペシャルピアノファンタジー
発売日:2008年4月23日
価格:¥2,800.(税込)
発売元:アミューズソフトエンタテインメント
CD No.:ASCM-6018
*2007年9月23日東京国際フォーラムホールCでの録音から厳選14曲。ボーナストラックとして、同ライブ時の南こうせつ「夢一夜」と企画アルバム『千の風になって』ピアノソロバージョンの2曲も収録。詳細はこちらにアクセス
「中村由利子 微笑みの奇跡〜
The Place to Return」
発売日:2007年7月27日
価格:¥2,800(税込)
発売元:アミューズソフトエンターテインメント
CD No.:ASCM-6006
*デビュー20周年オリジナルアルバム。韓国ドラマへの書き下ろし曲、三鷹の森ジブリ美術館で上映の宮崎駿監督作品への提供楽曲の再録音を含む全12曲収録。詳細はこちらにアクセス
ピアノ・ソロ 
中村由利子/微笑みの軌跡
中村由利子編 楽譜集
発売日:2007年9月23日
定価¥1,575(税抜価格¥1,500)
発売元:ドレミ楽譜出版社
*詳細はこちらにアクセス

▼フェリス女学院大学音楽学部

1870年メアリー・E・ギダー女史のヘボン施療所における授業開始を発祥とする。1875年「フェリス・セミナリー」、1889年「フェリス和英女学校」、1941年「横浜山手女学院」と名称変更後、1947年専門学校(旧制)3年として英文科、家政科とともに音楽科を設置。1950年「フェリス女学院」に改称され短期大学となり、翌51年に音楽科設置。1989年音楽学部設置。1998年大学院音楽研究科修士課程設置。大学HPはこちら

▼中田 喜直(ナカダ ヨシナオ、1923〜2000)
中田 喜直
(写真提供:ハピーエコー)

1923年、東京生まれ。音楽家の父親の影響から、幼少よりピアノ・作曲に興味をもつ。1943年東京音楽学校(現・東京藝術大学)ピアノ科卒業。「雪のふるまちを」「夏の思い出」「ちいさい秋みつけた」「めだかのがっこう」など誰もが知っている名曲の他に、歌曲「六つの子供の歌」「マチネ・ポエティクによる四つの歌曲」、合唱曲「美しい訣れの朝」「都会」、ピアノ曲「ピアノ・ソナタ」「組曲 光と影」など作品は幅広い。多くの受賞歴。1986年には紫綬褒章受章。(社)日本童謡協会会長を務める。フェリス女学院短期大学音楽科から長くフェリスで教鞭をとり、1990年〜2000年フェリス女学院大学教授及び名誉教授。2000年5月3日歿。(詳細・問合せ)音楽出版ハピーエコー

2007.7.25 Vol.1 あの頃から積み重ねてきているものが、今の活動の基盤になっている

今年、デビュー20周年を迎える作曲家でありピアニストの中村由利子さん。フェリス女学院短期大学音楽科(現フェリス女学院大学音楽学部)を卒業後、アルバム、コンサート、映像音楽など多彩な分野で活躍しています。オリジナルの楽曲を演奏する中村由利子さんの音楽活動にあこがれる音大生も多いでしょう。
そこで、20年にわたる長い活動の節目を迎えられた今、これまでの音楽活動や音楽の原点、音楽大学の思い出を伺いました。音大生へのメッセージもいただきましたよ。

歌詞の代わりにメロディーでどこまで書けるか

― ― デビュー20周年おめでとうございます。実に多彩な活動をされています。

中村:ありがとうございます。アルバム作りやコンサートで、自分が納得してしたいことをさせていただいくなかで、私の音楽に興味をもってくださった方たちとの出会いがあって、これまでいい仕事をさせていただいています。ひとつの仕事がまた次の仕事につながっていったという感じですね。

― ― アルバム作りやコンサートだけでなく、映像とのコラボレーションのお仕事もたくさんされています。

中村:映像とのコラボレーションの仕事には2種類あって、ひとつは既に発表した音楽を使ってくださる場合、もうひとつは映像の音楽を新しく依頼される場合ですね。日本の風景写真家の第一人者である前田真三氏が、ハイビジョン映像作品『四季の丘』を出されるときに私のデビューアルバム『風の鏡』(1987年)を使いたいと言ってくださったのが最初で、その後、金子修介氏の映画『1999年の夏休み』(1988年)でもアルバムからの曲が使われ、それからこういう音楽を作ってくださいという依頼をいただくようになりました。既存の曲の場合は私の手から離れているわけですけれども、依頼を受けて作るときは、監督さんやクライアントの方などのこういう風にしたいという気持ちや考え方を聞いて、そこに自分が感じたイメージをプラスして皆の共通項の中で最大公約数を拾うわけなので、たくさんの要素を取り込まなければなりません。それでも自分はこう創りたい、こうだろうなと思うものを、私はできるだけ削らずにね、ちゃんと残しておきたいと思っているんです。

― ― ラジオ、CM、アニメーション、そしてドラマの世界でも中村さんの音楽は人気があります。映像や様々な分野の人たちが中村さんの音楽が合うと思ってくれるのはうれしいですね。

中村:私の音楽をいいと思って声をかけてくださる方は、たぶん私がこだわっていることと同じような部分に共感を得てオファーしてくださるのだと思います。というのも、私はもともと歌の曲を作りたいと思っていたので、歌詞がない代わりにメロディーでどこまで書けるかというところから曲作りが始まっているんですね。だからインストゥルメンタルであっても、歌うような感じというか、割とこうだという部分がはっきりしているんだと思います。

― ― そして、海外での活動も活発です。特に最近は韓国で大変活躍されていますね。

中村:韓国のあるコーディネーターが日本と韓国とを飛行機で行き来しているときに、機内で偶然私の音楽を聴かれたそうです。おそらく「ジェットストリーム」(TOKYO FM)の音楽がかかっていたのだと思うのですが、そのコーディネーターが「この人の音楽を韓国で紹介したい」と思ってくださって、それからCDが日韓で同時発売になったり、過去のCDが遡って韓国でリリースされたりして、コンサートもするようになりました。3年前(2004年)には、韓国ドラマの音楽も作らせていただきました。

― ― 3年前というのは、ちょうど日本で韓流ブームが起こり始めた頃ですね。

中村:そうなんですよ。最初にCDを出したいからと韓国に呼ばれたのが2000年で、最初にコンサートをしたのは2002年。その頃はまだ日本に韓流ブームは起こっていなかったですが、2004年の頃は私も「冬のソナタ」の大ファンになっていましたから、ドラマの音楽を依頼されたときは、自分自身が韓国ドラマや韓国の音楽に大変興味をもちながら韓国に行くようになっていました。そして、韓国ドラマの「春の日」や「ごめん、愛してる」という作品には、オリジナル楽曲も提供したのです。実は、「ごめん、愛してる」のドラマ本編に出演もしているんですよ。ステージのシーンのバックでピアノを弾いているが私なんです。(笑い)

― ― ええ?!それは帰ったら早速DVDを見直さないといけません。中村さんの音楽は、韓国のリスナーから「韓国人の感性に合う」と言われているそうですが、それはとてもわかる気がしますね。私も韓国ドラマはけっこう見ていて、中村さんの作るメロディーが韓国ドラマの感情表現に非常に合うと感じます。また、包み込むような中村さんのピアノの音色は、韓国の人たちの気持ちにストレートに響いているのではないかと思います。

中村:私の周囲の韓国ドラマファンの人たちの多くもそうおっしゃってくださるんですが、韓国のドラマ音楽にはそもそもピアノ曲が多いようです。ただ、実際に仕事を通して韓国の方たちと接していると、表現や考えていることには共通するものを多く感じます。近年は、コンサートを韓国でも行なっていますし、昨年は「冬のソナタコンサート」にも出演させていただきました。韓国との文化交流はこれからだと思っているので、今後はもっと何かできないかなと考えています。

在学中、中田喜直先生に励ましていただきました

― ― 中村さんは幼い頃から音楽が好きで、作曲も早くからされていて、13歳の頃には作曲コンクール(横浜市主催)に入賞という経歴をおもちです。

中村:幼少の頃から、おもちゃのピアノをぽんぽんと叩いて「今日はこんな感じ」というものを弾いていたらしいです。それで5歳から音楽教室に通っていました。

― ― 誰かに教わってわけでもなく、自然に音楽に反応し、表現するようになったんですか?

中村:私の家族は誰かが音楽をしていたわけではありませんが、各々がちょっとずつ好きな音楽が違っていて、いろいろな音楽が家の中に流れていたんですね。それを自然に聞いていて、音楽を習いたいと思ったんだと思います。私は、ピアノというよりも、音楽が好きだったので、ピアノは自己流で弾いていたところがあるんです。童謡やテレビから流れてくる曲とか、レストランに連れて行ってもらったら、BGMで映画音楽やイージーリスニングがかかっているでしょう。そういう中からよく耳にする曲をだいたい覚えられる子どもではあったみたいですね。そして覚えた曲をピアノで弾いてみるんだけど、コードはまだ知らないので、自己流で記号を作って楽譜に書いたりしてましたね。そのうちドミソはTだというようなことを音楽教室のソルフェージュで習ったり、コードではCとかFとか音名で書くんだとわかってきて、でもまだ知らないコードはCやFの上に音を足して書いたりしてね、覚えてきたメロディーに自分なりに記号をつけていました。

― ― 耳でとらえた音を自己流で楽譜に書き、後から知る理論とだんだん一致していくという感じですか。

中村:そういう時期がありましたね。音楽が好きだから、習ったことをするというよりも、したいことをしているわけだから、わからないことがあってもずっと続けてこれたんだと思います。

― ― そしてフェリス女学院短期大学音楽科(※1)に進学されました。フェリスに決めた理由は何でしょう。

中村:最初にピアノを習った先生がフェリス出身だったこともあって、フェリス音楽教室にも通い始めまたことと、フェリスは地元横浜なので通いやすかったというのがありますね。私にとってはごく自然の選択でした。

― ― 音楽大学へ行こうというのもごく自然な選択でしたか?

中村:それは少し迷いました。絵描きの父の影響で、私も絵を描くことが好きだったので、小学校、中学校の頃は、絵のほうに進みたいと思っていた時期もあったのです。それで、絵と作曲の両方を続けていたのですが、次第に音楽のほうが自分の中で勝ってしまったんですね。自分を表現する手段として、音楽のほうが面白くて、可能性があるように感じ、音楽をやっていこうと決心して、フェリスに進学しました。

― ― 子どもの頃から音楽教室にも通われていて、音大受験の準備はそれほど苦労しなかったですか?

中村:フェリス音楽教室に通っていたので学校の雰囲気を垣間見ていたこともあり、受験にすごく苦労したというのは確かにないかもしれませんね。でも、試験の課題曲には苦労しましたよ。ピアノ専攻の課題曲は、ベートーベン、バッハ、音階でしたが、ベートーベンは聴く分にはいいんですけど、自分が弾くとなると私にはあまり向いてはいないこともあって。入学してからも試験の課題曲にはけっこう苦労しましたね。

― ― そういえば、作曲専攻ではなくて、ピアノ専攻で入られたんですね。

中村:そうなんですよ。実は作曲かピアノかで迷っている生徒がいるとピアノの先生が当時フェリスで教えられていた作曲家の中田喜直先生(※2)に聞いてくださったのです。そうしたら、中田先生は「作曲は後からでもできるけれども、ピアノは早いうちに勉強したほうがいい」というようなことをおっしゃっていたと、教えてくださいました。

― ― 中田喜直先生は惜しくも2000年に亡くなられました。数々の名曲を遺された偉大な作曲家として有名ですが、フェリスで長年教えられていたのですね。

中村:私が在学中の頃は、中田先生は「実用和声論」という授業をされていました。授業のタイトルはとても硬いんですけど、内容は柔らかいもので、様々な音楽のお話をたくさんしてくださいましたね。在学中、私は、中田先生にはとても励ましていただいたのです。卒業後も、作曲家として、音楽を仕事として、本当に自分はやっていけるだろうかと思っていたときに、とても励みになる言葉をくださいました。音楽家としての将来を、とても楽しみにしてくださっていたようです。そういえば、卒業演奏の曲も中田先生の曲を弾かせていただいたのですよ。

― ― 中村さんにとって、中田喜直先生との出会いはとても大きなものだったのですね。でも、ピアノ専攻の中村さんが作曲もしているということを、中田先生はご存知だったのですか?

中村:それは「実用和声論」の授業がきっかけなんですね。前に出てコードをつけるというのをやらされたときに、和声とコードネームは違いますね。そこで私は他の人とつけるコードがちょっと違ったんだと思います。それを見て中田先生が興味をもってくださったのがきっかけで、私が作曲をしていることも知ってもらえました。でも、和声法の授業で同じようにしたら×をつけられますからね、肩や持ち上げられ、肩やどん底だったんですよ(笑い)。

― ― 中村さんはピアノタッチがとても柔らかくて包み込むような音色が特徴です。そのためにこういう練習をされてきたということはありますか?

中村:特には・・・・・ピアノの先生は、私のピアノがうまいとは思っていなかったんじゃないかしら。私は手が小さかったので、例えばベートーベンのような曲だと無理があって、それほどよくは弾けなかったんですね。でも、じゃあ手が大きくなければピアノは弾けないのかといったら、そんなことはない。小さい頃から自己流でポピュラーの曲を弾いてきましたし、とにかく音楽が好きだという気持ちがあったので、バンドで演奏したり、ジャズを習ったり、エレクトーンを弾いたり、歌手の人のバックで弾いたり、レストランや結婚式場で弾いたりね。いろんなところでピアノや鍵盤楽器を弾いていくなかで、クラシックのピアノ曲にはオーケストラのような部分も弾きながらメロディーを弾くという感じがありますけど、私は、歌の人のように、ピアノでメロディーをもっと歌わせたいという思いやイメージが強くなっていったのですね。その思いのとおりに弾いていたら、このようなピアノタッチになってきたのだと思います。

― ― 「歌うように」ですね。では、クラシック音楽で好きなものはなんでしょうか?

中村:ショパンとバッハですね。自分が表したいものと近い感じがあります。フェリス在学中、中田先生の「実用和声論」の授業では、夏休みの課題がショパンのワルツを全曲弾けるようにというものだったのですね。それで今でもショパンのワルツはよく弾いています。

☆中村由利子さんのCD、楽譜、音楽を担当された映像作品のDVDはこちらから購入できます。
BACK NUMBER
Vol.5 2008.02.06 村松崇継さん 作曲家・ピアニスト
Vol.4 2007.12.17 檜山乃武さん 音楽大学准教授
Vol.3 2007.10.12 中野振一郎さん チェンバロ走者
Vol.2 2007.8.27 吉田順子さん 新聞記者
Vol.1 2007.7.25 中村由利子さん 作曲家・ピアニスト