
1971年、和歌山市生まれ。
1993年東京芸術大学 音楽学部 楽理科卒業、96年同大大学院音楽研究科(西洋音楽史)修了。
3歳よりピアノを、15歳より作曲を始める。在学中よりオーチャードホール主催「モーストリ・モーツァルト」などの演奏会プログラムやエッセイを執筆。
「FOODEX JAPAN」などのイベントや公演で通訳を務める傍ら、ピアニストとしても芸大オペラのコレペティトゥール、クラシックのアーティストやモンゴル人歌手ウヨンタナの伴奏者として活動。94〜95年、テレビ東京「エバーグリーン・ミュージック」に出演。ピアノを小畠時栄、宮井順子、角野裕、作曲を森川隆之の各氏に師事。
97年、朝日新聞社入社。仙台支局(警察、市政担当)、東京本社学芸部(家庭面)、整理部(地方版)、文化部(音楽担当)、広告局広告第4部(金融担当)を経て、現在編集局文化グループ(音楽担当)在籍。
▼のだめカンタービレ
(写真提供: 講談社BOOK倶楽部)
二ノ宮知子作。2001年より漫画雑誌「Kiss」(講談社)で連載中の漫画作品。単行本は現在18巻まで発売されており、累計2200万部を発行。第28回講談社漫画賞少女部門受賞。主人公野田恵(のだめ)を中心に、音楽を志す若者の成長を描いたクラシック音楽をテーマとした音楽コメディ。2006年にはフジテレビでドラマ化され、人気を博す。
講談社BOOK倶楽部の「のだめカンタービレ」のページはこちら。
▼東京藝術大学楽理科
1949年、東京藝術大学創立と同時に設置。「音楽とは何か?」を研究を通じて学問的に追求する「音楽学」。クラシック音楽だけでなくあらゆる種類の音楽を対象とする。専門分野は現在、西洋音楽史、日本音楽史、東洋音楽史、音楽美学、音楽理論、音楽民族学の6つ設定。音楽学の基礎と応用の他、作曲の基礎、演奏、音楽理論などが必修科目で、外国語の修得も重要視される。募集人員は毎年23名。入試科目は、国語、外国語(英・独・仏から1科目)、聴音、楽典、新曲視唱、音符の音読、リズム課題、副科実技、和声、小論文、面接。東京藝大楽理科のHPはこちら。
今回のゲストは、朝日新聞で音楽記事を書かれている新聞記者の吉田純子さんです。東京芸術大学音楽学部楽理科を卒業後、同大学大学院音楽研究科修士課程を修了し、朝日新聞社に音楽専門記者として入社しました。クラシック音楽に関する豊かな知識に裏づけされた印象深い記事をたくさん書かれています。新聞記者になった背景や芸大時代の思い出話を伺い、そして、音楽を志す音大志願者や音大生へ向けた貴重なメッセージをいただきました。
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音楽以外の世界をしっかり見ていないと、読者が見えなくなってくる
― ― 音楽担当の記者として、心がけていることを教えてください。
吉田:記事を書くことは、自分と向き合うことでもあるんです。私は以前、上司から「自分の中で一回戦ったうえでなければ、言葉というのは出てこない」と教えられました。記事を書くたび「今ここに書いている言葉は、本当に自分が思っている言葉だろうか」と自問自答するようにしています。
― ― 新聞記事のスペースというのはそれほど大きくありませんが、吉田さんはとても長い時間をかけて相手のお話を聞かれるそうですね。
吉田:私は取材がすごく長いタイプです。作曲家の伊福部昭さんには5時間インタビューしました。チェリストの青木十良さんには2日間連続で計10時間インタビューしました。例えば、彼らが自分のことを「僕」と言うか、「俺」と言うか、また、「父親」という言葉を使うか、「親父(おやじ)」を使うか。そういうものが正直に出てくるのは初対面の場合、だいたい30分から1時間位してからなんです。私の仕事は相手が話そうと思っていること以外のことを聞くのが挑戦です。そのためには、相手の背景や思考の方向性のようなものを空気でつかまないとならない。相手が一番言いたかったことは何なのか、そして言えなかったことは何なのかを考えて、私は記事を書くのです。
― ― その空気感のようなものがあるからでしょうか、吉田さんの記事は印象に残ります。
吉田:そう言っていただけると、ほんとにうれしいんですけどね。
― ― 吉田さんのお名前は、音楽以外の記事でも見かけたことがありますが。
吉田:音楽に関係のない記事も相当書いていますよ。音楽担当だからといって、音楽記事ばかりを書いていると、自分自身が袋小路に入ってしまうのです。例えば音楽専門雑誌の場合は、音楽ファンというユーザーに向けているものなので、「フーガが云々」と書いてもいいですが、新聞記事ではいきなり「フーガ」と書いても読者にはわかりません。新聞は、知らない人にわかってもらえ、なおかつ知っている人にも知らない人にも等しく興味をもってもらえるように記事を書かなくてはならないのです。音楽の専門家である自分は、常に他の世界もしっかり見ていないと、読者が見えなくなってきます。そういう意味でも音楽以外の記事も興味をもって書くことがあります。
― ― 新聞で偶然に読んだことで興味をもつ事柄って確かに多いです。
吉田:自分が書いた記事を読んで演奏会に足を運んでもらえると、とてもうれしい。私はそういうきっかけを作りたいという気持ちがすごくあるんです。自分自身がクラシックのことをあれこれ語るより、自分の記事を読んで何かを感じてくれたという反応があると、新聞記者になってほんとによかったと思うのです。
― ― 読者の反応ですね。
吉田:そう。それに音楽業界の人間よりも一般の聴衆のほうが実は時代の風を鋭く感じている時がある、と私は思うんですよ。それを感じたのが漫画『のだめカンタービレ』(※1)のときだったんですね。この漫画が1巻か2巻発表された頃、私は「これはニュースになる」と確信して記事にしました。『のだめカンタービレ』という漫画はすごい漫画で、いわゆるみんなが知っているような有名な作曲家の曲はほとんど出てこない。いきなりバルトークとかですから。それで当時、東芝EMIが関連CDを3000枚発売して、即完売したんですが、それ以上は契約上作れなかったんですね。それで私は、もったいないことをしたと記事に書きました。それから1〜2年経ってブームが起こりましたが、一番反応が遅かったのは音楽業界だったのです。ようするに音楽業界は「モーツァルトを聞かせておけばお客さんは喜ぶもの」と、お客さんの敷居はいつも下げてあげないといけないと思いこんでいるんです。そこを『のだめカンタービレ』は、敷居を下げずにクラシックの魅力を真正面からぶつけてきた。そのことに業界は気付かなかった。でも読者はすぐに気付いた。業界の中に居すぎると、感度がよくなくなるんです。だから、普段業界内で言い合っているようなことが自分の常識にならないように気をつけないと、自分が書きたいものが書けないと私は思っています。
― ― そういう立ち居地のようなものは、新聞記者にとってとても重要な気がします。
吉田:どこにも寄っちゃいけないんですね。そして入れ込んでもいけない。個人的には、この人を応援したいとか、この音楽が好きというのはあるべきですけど、説得するには、客観性が必要です。そのうえで、対象に対する愛情もなくてはいけない。
音楽について書く人間になろうと、漠然と思っていた
― ― 朝日新聞に入社したきっかけを教えてください。
吉田:大学院を出てから半年間くらいは、フリーでライターをしたり、ピアニストや通訳をしたりして、就職はどうしようかと考えていました。たまたま後輩のバイト仲間が、朝日新聞社が音楽専門記者を募集している求人情報が大学に来ていたと教えてくれたので、早速学校へ行ってみたら、応募の締切が翌日だったのです。それで応募して、入社試験を受け、入社しました。
― ― 吉田さんにとって、新聞記者は天職のように思えますが、ご本人はいかがですか?
吉田:新聞記者になろうと思ったことはなかったですけど、音楽について書く人間になりたいとは漠然と思っていました。でも、私はそんなに優秀な記者ではないですよ。もし天職というならば、新聞記者というより、人に会ってそれを形にすることだと思います。私が目指しているものは、たくさんの読者が読んでくれて、いろいろ意見を言いたくなる記事を書くことです。批判はむしろ有難い。読者の方々からよくご意見を頂戴しますが、とにかくとっても議論のレベルが高い。だから私は、朝日の読者に安心して自分を預けることができるんです。読んでくれる方々がいるだけでもありがたいし、その上自分の記事を読んで、演奏会に行ってきましたとか、CDを買ってみましたとか、よかったですとかいう反応があると、本当にうれしいです。
― ― そこにやりがいを感じるわけですね。
吉田:感じます。媒介になることの楽しみというのが非常にあります。私自身は無名でいいのです。私は音楽が好きなので、業界の風通しをよくしたいといつも考えています。自分自身が音楽に育てられた人間です。音楽がなかったら朝日新聞にも入ってなかったわけですから、今の道を作ってもらったのは音楽なんです。特にモーツァルトは、目には見えない絶対の価値があるんだということを教えてくれた存在です。だからやっぱり恩返ししていきたいと思うことがよくあるのです。
東京芸大の楽理科を目指したのは、高校2年生のとき
― ― 東京芸術大学に進学を決めたのはいつ頃ですか?
吉田:私は小さい頃からピアノを始めて、ヤマハ音楽教室にも通いました。音楽が好きになったので、中学・高校では吹奏楽に入り、打楽器を担当しました。高1の頃、進路を考え始めたときに、ピアノは続けてはいたけれどもすごくサボっていたので、ピアノで進むのは無理だと思い、一度は音大をあきらめたんです。でも、作曲の勉強をしようと思ったんですね。曲作りはしていたんですが、和声法や対位法を学んで、作曲を体系的に勉強したいと思い、親に頼み込んで、ピアノの先生の紹介で、地元の和歌山に住んでいらした東京芸大出身の先生につくことになりました。これがすごく楽しくて、作曲の勉強を始めて1年くらい経った頃、真剣に東京芸大を受験しようと考えたのです。
― ― では、最初は作曲科で受験しようと?
吉田:ええ。でも、先生から現役では無理だと言われました。浪人する気があれば面倒は見ると言ってくださったんですが、経済的に浪人も私立大学も無理なので、受けるなら芸大しかない。でも、ピアノ科はダメ、作曲科もダメ。どうしようかと思っていたとき、ピアノの先生から「楽理科」があることを教えてもらったんです。楽理科の入試科目を見ると、私に全部できそうだったんですね。和声法と対位法は習っていたのでわかるし、聴音やソルフェージュはもともと得意でした。ピアノも続けていましたし、あとは国語と英語を勉強すればなんとかなるかもしれないと思って、目指すことにしました。それが高2になった頃ですね。
― ― そこから東京芸大の楽理科(※2)に入るための受験勉強を始めたわけですね。
吉田:辛かったですけど、自分の夢があるから楽しかった吹奏楽もやめて、受験準備を始めました。楽理科の入学試験は国語と英語がすごく難しいんですよ。英語の試験は、かなりの長文を日本語で要約したりする問題なんですけど、内容が高度で、しかも民族音楽学や音楽学などの専門的な知識が問われます。それで、英語と音楽学を勉強するために、作曲の先生から東京芸大の楽理科を卒業されたご夫妻の先生を紹介してもらいました。ご主人に音楽史を学び、奥様に英語を学ぶという体制を組んだのです。
― ― 一番苦労した科目は何ですか?
吉田:それはもう英語です。もともと英語は得意なほうだったんですけど、楽理科の入試問題はコテンパンという感じでした。本当に難しいんですよ。それから小論文もありました。国語、英語、論文の3科目の勉強が大変でしたね。
― ― それだと英語で落ちる人がけっこういそうですね。
吉田:現在はわかりませんが、当時は国語と英語で落ちる人は多かったと思います。
― ― しかし、吉田さんは見事、現役で合格されました。自信はありましたか?
吉田:楽理科は2次試験のなかにさらに1次と2次があるのですが、1次が終わった時点で、試験の手応えがあまりよくなかったので、実は和歌山に帰っちゃったんです。そしたら、同じ和歌山から一緒に受けていた子が電話をくれて、私が1次試験に受かっているよと教えてくれました。それで、2次試験を受けるために、また東京へ行かなきゃと。
― ― それでは、合格したときは本当にうれしかったでしょう。
吉田:ものすごくうれしかったですよ。合格発表の日は、桜が満開だったことを今でもよく覚えています。実はこのとき、和歌山からは私のほかに作曲とビオラの友達も受けていて、一緒に最終まで残ったので、3人で新幹線に乗って合格発表を見にいったんです。最初のうちは、お菓子を食べながらワイワイと遠足気分だったのに、上野駅が近づくにつれ、どんどん口数が少なくなってきて。でも、全員そろって合格していた。みんなで桜吹雪の下で何度もバンザイして、盛り上がりました。







