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音楽インタビュー MUSIC INTERVIEW

村松崇継さん 作曲家・ピアニスト
Vol.5 村松崇継さん
作曲家・ピアニスト
PROFILE

静岡県浜松市出身。国立音楽大学音楽学部作曲学科卒業。
5歳で音感教育を受け、7歳からピアノ、11歳で作曲を始める。15歳のとき「ミュージックコンテストin浜松ジャパンオープン」で浜松市民賞を受賞。翌年、高校在学中にピアノソロアルバム「窓」でデビュー。国立音楽大学に入学。勉強のかたわら学内外のセッションなどで研鑽を積む。大学在学中の 1999年、セカンドアルバム「東京」を発表。

2001年、映画『狗神』の音楽を担当。映画やドラマの音楽を中心に本格的な活動を始める。2006年NHKで放送された土曜ドラマ「氷壁」の主題歌「彼方の光/リベラ」が大ヒット。同年世界同時CDがリリースされる。自己のアルバムのほか、アーティストのアルバムに曲・編曲を提供、演奏、プロデュースするなど幅広く活躍中。

主な作品:ソロアルバム「Spiritual of the mind」、映画(音楽担当)『狗神』『突入せよあさま山荘事件』『夕凪の街桜の国』『オリヲン座からの招待状』『魍魎の匣』『クライマークハイ』、ドラマ(音楽担当)「天花」「自由戀愛」「幸福 2020」「契約結婚」「氷壁」「偽りの花園」「命の奇跡」、など。

ソロアルバム
「SPIRTIUAL OF THE MIND」
「SPIRTIUAL OF THE MIND」村松崇継
発売元:ミディ
CD番号:MDCL−1464
曲目:
  1. CITY SCAPE
  2. ONLY ONE
  3. 次なる扉
  4. 浴衣に袖を通して
  5. SPIRITUAL OF THE MIND
  6. SANTAFE TRAIL
  7. LIFE
  8. 紙について思う僕のいくつかのこと
  9. JUNK
  10. 天花〜やがて実のなる天の花〜

▼コンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)

フランスの音楽学校は、国公立がほとんどで、私立の学校は少ない。「コンセルヴァトワール」は、“音楽院”のことで、フランスの国公立音楽教育機関を指す。従って、数多くのコンセルヴァトワールがある。そのなかで、「パリ国立高等音楽院(CNSM de Paris)」は、1795年に設立された“グランゼコール”と呼ばれる国立の音楽院で、伝統があり、教育水準も高いとされる。コンセルヴァトワールは他に、「パリ市立音楽院(CNR de Paris)」「(パリ以外にある)市 立音楽院(CNR)」「パリ区立音楽院(CMM)」がある。「パリ国立高等音楽院」の修学期間は3〜4年。専攻別に年齢制限が設けられている。入学は9月で、入学試験はその半年前の2月に実施される。
フランスのHPはこちら

▼「和声 理論と実習(I〜III巻)」

和声 理論と実習(I〜III巻)
(上から、I  II  III。写真提供: 音楽之友社)

東京芸術大学作曲科教授陣の総意を結集した最新の和声教本で、大学向きに極めて高能率な方式が展開される。I巻では、古典的和声の根幹を説き、主に一定の調内でカデンツの原理をD和音を中心に扱う。II巻では、借用和音・変化和音およびソプラノ課題を扱う。III巻では、非和声音をすべて転位構成音として把握する独自の理論により、従来では至難とされていた高度の対位法的運声技術までマスターする。(音楽之友社のHPより)

2008.02.06 Vol.5 音大時代は、自分に足りない部分が何なのかという危機感をいつももっていた

昨年(2007年)だけでも『夕凪の街桜の国』『オリヲン座からの招待状』『魍魎の匣』と、3本の映画のサウンドトラックを担当している売れっ子作曲家の村松崇継さん。国立音楽大学音楽学部作曲学科を卒業後、映画やドラマの音楽を中心に、幅広い音楽活動をされています。昨年の秋、NHKテレビ「トップランナー」に出演し、その自然体な話し振りと、音楽にまっすぐな姿勢で好印象を残しました。また、ピアノの腕前が一流であることも披露されました。
今回のインタビューでは、村松さんの音楽的背景を伺いながら、音大受験秘話や在学中のお話をたっぷりお聞きしました。

音大には、クラシックの勉強をしつつも、いろんなことをやっている人がいた

― ― 村松さんは、ピアノがものすごくうまいですね。

村松:一応ピアノ科も目指して、桐朋学園音大のピアノ科も受けたんですよ。それで実は、受かっているんです。国立(くにたち)音大の作曲学科に進んだんですけど。

― ― そうなんですか。それでは弾けるはずです。「トップランナー」で村松さんのピアノをご覧になった視聴者の中には、ピアノもうまいんだ!と思われた方がきっと大勢いるのではないかと思います。

村松:ありがとうございます。

― ― 村松さんは、ご自身の音楽の特徴を、どのように考えられていますか?

村松:僕の音楽は、ポピュラー音楽という分類にされることが多いですけれども、やはり音大を出た僕が弾くポピュラーピアノという感じですね。クラシックの曲を弾いたり、作曲の勉強をしてきたりした僕が弾くポピュラーピアノなので、ちゃんと構築されているようにするということを考えています。

― ― なるほど。お好きなアーティストに、ダニー・ハサウェイの名前を挙げられています。そういえば彼もクラシックを学んでいました。ダニー・ハサウェイの音楽に影響されているところはありますか?

村松:あると思います。クラシックとはピアノの弾き方が全然違うので、音大時代は彼のピアノをコピーして真似していました。他にも、ニーナ・シモンやスティービー・ワンダーなどをピアノで弾くようになって、そこから僕の音楽は広がっていったんですね。

― ― ダニー・ハサウェイやニーナ・シモンは、ソウルなんだけどジャンルが決められないアーティストですね。

村松:そう、ソウルなんだけどクラシックを学んでいるんで、そこはちょっと自分と通じるものがあったんだと思います。

― ― 音大に入学する以前、そういった音楽に興味は?

村松:興味は全くなくて、僕はクラシック一本で進んでいたんですね。音大に入ると、普段はクラシックの勉強をしつつも、いろんなことをやっている人がいました。そういう人たちと出会って、僕はいろんな音楽に出合えたんです。そのうち、クラシックの声楽を学んでいるけれどもヴォーカリストやヴォイストレーナーを目指している声楽学科の学生から、ピアノの伴奏を頼まれることが多くなりました。僕は、作曲学科の学生でコードもすぐわかってちょっとピアノが弾けるよねっていうことで、けっこう便利がられていました。それから、ゴスペルやビッグバンドのサークルがあって、そういうところでピアノを弾いたりするようにもなりました。

― ― ゴスペルやビッグバンドのサークルに入るきっかけはなんだったのですか?

村松:僕の1年上の先輩に樋泉さんという人がいて、現在PE'Zというジャズバンドでピアノを弾いているヒイズミマサユ機さんですが、彼は、作曲学科の学生の中でもちょっと変わっている感じの存在で、僕もちょっと変わっていたんで、変わっているもの同士でつるんでいたんです。樋泉君は、ニュータイドという国立音大のビッグバンド(ニュータイドジャズオーケストラ)でピアノを弾いていて、あるとき「村松、ちょっと代わりにやってくれよ」と言われて、僕がニュータイドに行ったんですよ。そこでピアノを弾いてみたら、それまでそういう音楽は馬鹿にしていたんだけど、すごく興味深かった。それで、だんだんとその世界にハマっていった。

作曲学科は、みんな自分は天才だと思っている人間の集まり(笑い)

― ― 作曲学科の授業では、ポピュラーやジャズを学ぶ授業というのはないんですよね。

村松:ないですね。それに、作曲学科の学生というのは、頭の中ではポピュラー音楽を「そんな簡単なもの、俺たちにはできるんだぜ」と思っちゃっているんですよ。僕も最初はそういう感覚だった。作曲学科ってみんな自分は天才だと思っている人間の集まりなんです(笑い)。音大に入るまでに作曲の理論について色々と学んでいるし、入学してからは現代音楽しか書かない。そういう環境では、ポピュラー音楽をどこか馬鹿にする感覚をもっているんですね。作曲学科の授業や勉強だけをまじめにやっていると、いわゆるオーケストレーションは学べるんですけど、それ以外の例えばビッグバンドのアレンジは教えてもらえないし、触れる機会がないんです。僕は、サークルの中でそういう音楽のアレンジをしたり、ビッグバンドでピアノを弾かしてもらったりしたので、いろんなスコアを見る機会がありました。それがすごくよかったですね。

― ― 作曲学科の学生がポピュラー系のサークルに入ることってあまりなさそうです。

村松:あまりないですね。みんな自分の音楽をもっていますから。ヒンデミットやドイツの現代音楽が好きな人とか、自分はフランス系の現代音楽の流れで書くんだとか、ジョン・ケージがどんどん変わっていったような音楽を書く人とか、作曲学科でもそれぞれが分かれるんです。

― ― 村松さんは、何系だったのですか?

村松:僕の場合は、特に偏らずで、勉強していくなかでは、フランス音楽系を学ぶことが多かったです。でも、当時はそれがあんまり好きじゃなくて、それで課外活動のサークルに逃げていたところはありました。

― ― 作曲学科に入ると、フランス音楽を学ぶことが多いのですか?

村松:芸大や国立音大は先生は、フランスのコンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院*1)出身の方が多いため、自動的にフランス系になるみたいです。コンセルヴァトワールにはIRCAM(イルカム)という現代系の音楽研究所が併設されているんです。作曲学科の人たちはそこを目指しているという感じがあるのです。

― ― コンセルヴァトワールを目指している人にとっては、作曲学科の授業内容はぴったりなんですね。授業では、過去の作曲家の研究もするのでしょうか?

村松:します。ラヴェルの分析から始まって、だんだんと現代のオネゲルやシェーンベルクというフランスものに深く入って行く感じです。ベートーヴェンのソナタなどは既にみんなわかっているものと考えられていて、古典はあんまり学ばせてくれません。僕は、ソナタ形式からやるのかな?と思っていたんですけどね。

― ― でも、音大時代はフランス音楽の勉強がイヤだったけれども、今になってわかってきたとか?

村松:そうなんですよ。当時は感性で作るものが好きで、フランス音楽に対しては「なんでここまで音楽を構築しなきゃいけないんだろう」と思っていたんです。だけど、感性のなかにも構築されたものがあったらもっと素敵だということが、作曲活動をしているうちにわかってきて、久々にプーランクのピアノ曲などを弾いてみたりすると、この曲はよくできているなあ、すごく考えられているなあと思うようになりました。

音大受験の勉強は、すごい苦労した

― ― 村松さんは、5歳で音感教育を受けられたそうですね。

村松:母親が近くのヤマハ音楽教室に僕を通わせました。そこから音楽に興味をもって、最初はオルガンをずっと弾いていました。

― ― 7歳から本格的にピアノを習うようになって、12歳のときには作曲もするようになった。作曲に興味をもつきっかけは何ですか?

村松:ヤマハ音楽教室では、曲を作っていこうよという時間があって、最初は嫌々ながらも、何回か曲を書いていくうちに、普段ピアノで弾いている曲も自分で変えるようになっていったんです。

― ― それで15歳の時には作曲家になろうと決心された。

村松:それは、最初は、ピアノの先生が「ピアニストにさせるには、これ以上私は責任をもてません」と僕の両親に話をされたんです。男にしては手がちっちゃいし、限界を感じるというわけです。その当時、僕もちょっと反抗期もあってか、何もかもイヤになって。ちょうどそのときに、音楽コンテストのチラシを母親が公民館からもらってきた。「最近は曲も作っているし、こういうのに応募してみたら?」と。それで、たまたま応募したら、なんか面白いねという評価をいただけたのです。(注:「ミュージックコンテストin浜松ジャパンオープン」で浜松市民賞を受賞)

― ― それで自信がついて、作曲家になろうと決心されたんですね。

村松:そうです。音楽の道には行きたいとずっと思っていたんで。

― ― コンテストで「浜松市民賞」を受賞され、高校生でソロアルバムを出されました。音大には行こうと思われていたのですか?

村松:思っていました。東京芸大の作曲科を目指して、高校1年生から東京の作曲の先生のところに通い、和声やフーガなど学んでいました。ただ両親は、僕が音大に行くことを応援しながらも、どこかでちょっと不安というか、反対の気持ちもあって、「一般の大学も受けとけ」と。それで実は、東京芸大と国立音大の作曲科、桐朋学園音大のピアノ専攻と、一般大学も2校受けているんです。

― ― 音大と一般大学の両方で5校受けたんですね!桐朋は作曲専攻ではなくてピアノ専攻を受けた理由は何ですか?

村松:桐朋の作曲専攻は、併設する高校から上がってくる人が多くて、大学からはあまりとらなかったのです。芸大の作曲科に受かる可能性は先生から五分五分だと言われていましたから、国立音大も受けることにして、ピアノがやっぱり好きだったから、桐朋はピアノ専攻を受けたのです。

― ― 作曲家志望だけど、桐朋のピアノ専攻に進んでもいいと思ったのですか?

村松:もしも、芸大と国立音大の作曲科は落ちて、桐朋のピアノ専攻に受かったら、桐朋に行こうと思っていました。

― ― だけど、作曲とピアノの両方の専攻を同時に受けるとなると、受験準備が大変ですよね。作曲学科を受ける準備だけでもたくさん勉強することがあるのに、そのうえ桐朋のピアノ専攻を受ける準備をするわけですから。受験勉強は苦労されましたか?

村松:すごい苦労しました。土曜日は和声のレッスンのために東京に通って、水曜日がソルフェージュ、月曜日と木曜日はピアノのレッスンなんですが、月曜日と木曜日の先生はそれぞれ違うので、もって行く曲も違うから、倍の練習をやるんです。

― ― スケジュールだけでも大忙しですね。受験勉強の内容的にも苦労しましたか?

村松:全部苦労しました。特に対位法とかフーガとかはもう苦痛で、苦痛で(笑い)。なんでこんなことやらなきゃいけないんだって思ってやっていました。

― ― 作曲科を目指す場合、高1から和声の勉強をし始めても、現役だと間に合わないという話をよくききます。

村松:作曲科でも音大によって和声のレベルのやっておけばいい範囲が違いましたが、芸大の作曲科は、和声の教科書(『和声 理論と実習』音楽之友社刊*2)を3巻までやっておかなければいけなくて、だから併願するんだったら、学んできたことを生かせるのがいいと思って国立音大にしたんです。

― ― 結果は、芸大の作曲科は落ちてしまったけれども、国立音大の作曲学科と桐朋学園音大のピアノ専攻に見事合格しました。そして、国立音大に入学したんですね。

村松:そうです。

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Vol.5 2008.02.06 村松崇継さん 作曲家・ピアニスト Vol.4 2007.12.17 檜山乃武さん 音楽大学准教授
Vol.3 2007.10.12 中野振一郎さん チェンバロ走者
Vol.2 2007.8.27 吉田順子さん 新聞記者Vol.1 2007.7.25 中村由利子さん 作曲家・ピアニスト